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仙台高等裁判所 平成12年(行コ)2号 判決

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が控訴人に対して平成2年2月7日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

三  訴訟費用は第一,二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二事案の概要及び当事者の主張

一  事案の概要

本件は,火力発電所のボイラー設備建設工事のうち塗装工事の下請けをした塗装会社の現場監督としての業務に従事していた甲野太郎(当時40歳,以下「太郎」という)が,その業務に従事中の昭和63年11月14日午後7時40分ころ,脳出血を発症して翌朝死亡したことにつき,太郎の妻である控訴人が,被控訴人に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という)に基づき遺族補償給付と葬祭料の請求をしたところ,被控訴人が右発症は業務上の疾病に当たらないとして不支給決定(以下「本件処分」という)をしたため,控訴人がその取消しを求めて提訴し,原審が太郎の死亡と業務との間には相当因果関係が認められないとして控訴人の請求を棄却したので,控訴人が控訴した事案である。

二  本件における「争いのない事実」,「控訴人の主張」及び「被控訴人の主張」については,次のとおり付加・訂正するほかは,原判決の「事実及び理由」欄の「争いのない事実」,「原告の主張」及び「被告の主張」(原判決4頁2行目から17頁6行目まで)と同一であるから,これを引用する。

1  原判決4頁4行目の「東邦塗装工業株式会社(以下「東邦塗装」という。)」を「東邦塗装工業株式会社(以下「東邦塗装」と表示する)」と,同10行目の「赴任」を「単身赴任」と改め,同5頁3行目の「共立病院へ」の次に「午後8時43分ころ」を,同5行目の「直接」の次に「の」をそれぞれ加える。

2  原判決6頁8行目の「現場監督」の次に「(現場作業責任者)」を加え,同末行の「等であった。」を「等であり,また,東邦塗装の唯一の管理職として,塗装作業を工期に間に合うように適正に完成させることはもとより,作業を遂行するにあたっては,人員や材料を無駄なく効率的に使用すべき職務を負っていた。」と改め,同7頁1行目の「することもあった。」の次に「本件作業はもともと東邦塗装の出口清光が現場監督を担当し,太郎がその補助者となる予定であったものが,出口が突然退職したことなどから急きょ太郎が現場監督としてただ1人本件現場に赴任することになったものである。そのため,」を,同2行目の「務めていたが,」の次に「本件ボイラー建設工事は太郎がこれまで経験をしたことのない巨大工事であり,」をそれぞれ加え,同8行目の「作業も行うもので,」から同末行の末尾までを「作業を伴い,作業場所の移動も激しいため,現場監督が作業員の作業場所を把握して,その監視をしたり,必要な指示を与えるためには,高所を頻繁に移動する必要があるなど,その業務の遂行は常に危険を伴うものであったうえ,本件現場の昼夜の気温差は大きく,高所では風の影響もあり,本件現場での業務は,精神的な緊張と負担を強いられるものであった。」とそれぞれ改める。

3  原判決8頁8行目の「8月,9月及び10月」を「8月及び9月」と改め,同10行目の「本件作業」の次に「の工程」を,同末行から同9頁1行目にかけての「式典に」の次に「それぞれ」をそれぞれ加え,同10頁9行目の「エレベータ」を「エレベーター」と改める。

4  原判決12頁5行目の「発生させて」を「発症して」と改める。

5  原判決17頁1行目から5行目までを次のとおり改める。

「 右のとおり,太郎の本件事故前の勤務状況を前提とすれば,太郎の脳出血発症の1か月前まで遡ってみても,太郎の業務内容が,日常業務に比較して特に過重な就労状態にあったと認めることはできないし,また,太郎が,脳出血発症の原因と認められるような異常な出来事に遭遇した事実も認めることはできない。一方,太郎には,従来から,基礎疾患としての重度の高血圧症が存在し,長期間にわたる高血圧の持続により血管の脆弱化が進行し,脳出血がいつ発生してもおかしくないような脳血管の病変が2箇所以上存在していたのであるから,その部分から自然発生的に脳出血が発生したものと考えるべきである。したがって,太郎の脳出血による死亡と太郎の業務との間には相当因果関係を認めることはできない。」

第三当裁判所の判断

一  当裁判所は,控訴人の本訴請求は,正当としてこれを認容すべきものと判断する。その理由は,次のとおり付加・訂正するほかは,原判決の「事実及び理由」欄の「第三 判断」(原判決17頁7行目から47頁9行目まで)と同一であるから,これを引用する。

1  原判決17頁9行目の「労災保険法」の次に「に基づく遺族補償給付及び葬祭料等の保険給付は,労働者の「業務上」の死亡について行われ(同法7条1項1号),同法」を,同18頁10行目の「過重負荷の判断は,」の次に「傷病発生前の」をそれぞれ加え,同末行から同19頁1行目にかけての「,予後,傷病等の発症のプロセスといった」を「についての」と改める。

2  原判決20頁5行目の「血管」を「脳内小動脈」と改め,同7行目の「血管壁の細胞は」の次に「内側から」を加え,同21頁1行目の「高血圧症は,」を「高血圧症(WHO(世界保健機関)の基準では収縮期血圧が160mmHG以上,拡張期血圧が95mmHG以上を高血圧としている)は,」と改め,同23頁5行目の次に行を変えて,次のとおり加える。

「4 高血圧症を有する者が,これを放置したままで自然に血圧が下がり,脳出血等の脳血管疾患を発症しないで済むということは考えにくく,一方,降圧剤による薬物治療,食生活の改善等の健康管理が適正に行われれば,高血圧が改善され脳出血の発症比率は低下する。高血圧症を有する者が,極度の緊張,興奮,恐怖等の著しい精神的負荷の加わるような出来事に遭遇した場合に脳出血等の脳血管疾患を引き起こすことが知られている。また,仕事による精神的緊張やストレス,長期間にわたる疲労の蓄積,激しい労働による血圧の急激な上昇等の精神的・肉体的負荷が加わった場合にも,これによって脳出血等の脳血管疾患を引き起こす可能性があると考えられているが,作業環境や労働態様によってもその影響度は異なり,どのような負荷がかかった場合に脳血管疾患が発症するのかについては未だ医学的定説はない。また,外気温の変化,気圧の急激な変動等の自然環境の変化が高血圧症に及ぼす影響も大きいと考えられている。

なお,過重な負荷と脳血管疾患の発症との関連を時間的に考察すると,一般的には発症から遡れば遡るほど過重な負担と発症との関連は希薄になると考えられている。」

3  原判決23頁10行目の「において」の次に「入院後間もなく」を加え,同24頁7行目の「当初最高が」から同8行目の「示しており,」までを「最高200,最低117を示していたが,その後午後9時には最高268,最低96,午後9時40分には最高220,最低120を示しており,」と改め,同25頁6行目の「脳出血患者は,」の次に「前記認定のとおり」を,同26頁5行目の「特徴的な所見」の次に「(脳幹部及び被殻部の2か所に出血が認められる点)」をそれぞれ加え,同7行目から8行目にかけての「非常に重篤な」を「相当高度の」と改め,同27頁1行目から28頁5行目までを次のとおり改める。

「2 太郎は当時健康診断を受診しておらず,同人の脳出血発症前の正確な血圧値を示す資料は存在しないが,太郎が身長169センチメートル,体重74.5キログラムと肥満気味であり,同人が昭和56年ころ勤務していた柏原塗研工業株式会社の健康診断で血圧の高いことを指摘されていたこと(乙5),東邦塗装の工事部次長(当時は課長)前原一徳が太郎から昭和58年ころ高血圧の薬を飲んでいたと聞いていること(乙6),太郎の父も血圧が高く,酒を飲んでいて倒れて,53歳ころ死亡したこと(乙5,原審における控訴人本人),及び前判示のとおり高血圧症が自然治癒することのない症状であること等によっても,本件の脳出血発症当時,太郎が高血圧症に罹患していたとする前記医学的判断は裏付けられているといえる。

なお,乙9(東邦塗装から元請である三菱重工に提出された太郎の昭和63年2月1日付け「一般健康診断個人票」)には,太郎の血圧値につき「138~84」と記載され,矢沢内科医院の矢沢弥平医師の記名押印がなされているが,これは実際に医師の診断を受けて作成されたものではないから(乙6),太郎の高血圧症を否定する資料とはいえない。

また,太郎は,喫煙し,少量の飲酒をしていたが,高血圧症その他健康上有害と認められるような生活習慣等は有していなかった。」

4  原判決28頁6行目から同47頁9行目までを次のとおり改める。

「四 太郎の業務の状況について

前記争いのない事実,証拠(甲1,4ないし10,11の2,12ないし15,22ないし26,27の1ないし226,28の1ないし217,29の1ないし3,30,32ないし34,36ないし40,41の1ないし11,44の1ないし9,45,46の1ないし6,47の1ないし12,48の1ないし5,49ないし51,53,60,乙4ないし6,8,10,原審証人谷崎満男,同又吉康裕,同青野重徳,当審証人出口清光及び原審における控訴人本人),並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

1 職歴等

太郎は,昭和22年12月15日生まれであり,昭和41年4月に柏原塗研工業株式会社に就職し,同社で精油所の煙突塗装工事やタンク塗装工事等の現場監督を務めた後,昭和58年3月同社を退職して二度の転職を経て,昭和60年12月に東邦塗装に請われて再入社した。太郎は,同社における課長職であり,入社後,東京電力株式会社富津火力発電所のボイラー塗装工事や三菱製紙株式会社のボイラー塗装工事等の現場監督を務めるなどした。

太郎は,手抜きのできない誠実,真面目で責任感の強い性格であり,部下の面倒見も良く,信頼の厚い人柄であったが,人の良さから自分の要求を押し通すことが不得手で,仕事を背負い込むという面があった。

2 本件現場への赴任の経緯

東邦塗装は,昭和62年ころ,昭和61年8月から平成元年6月にかけて行われた広野火力発電所の3号ボイラー建設工事の一部である本件作業を,三菱重工から請負った。その規模は,東邦塗装が受注した工事の中では数少ない大規模なものであり,同社ではそのベテラン社員であった出口清光を現場監督とし,太郎が補助者として安全管理を担当する体制を予定して準備を進めていた。ところが,同年11月,出口が東邦塗装の代表者である谷崎満男との口論を契機として退職することとなったため,出口に代わり同社の工事部課長前原一徳が現場監督になることが決まった。しかし,前原も家庭の事情等を理由に赴任できなくなったため,急きょ太郎が現場監督として赴任することが決まった。これに対し,太郎は,本件現場のような大規模工事の経験がなかったため,現場責任者となることについて自信がなく気が進まないという話を出口に漏らすなどしていた。

東邦塗装では,本件作業を,外部業者の又吉組に孫請けさせ,東邦塗装からは,太郎1人を現場監督として本件現場に赴任させることとした(なお,東邦塗装が又吉組に下請けさせたのは,ボイラー機械,配管,建物等の塗装であり,文字書きなど特殊塗装は他の業者に下請けさせていた)。又吉組は,同族経営であり,兄の又吉功が代表者で,弟の又吉康裕が現場責任者として働いていた。又吉兄弟は,太郎の妻である控訴人の実弟である。

太郎は,昭和63年2月26日,家族を千葉県市原市に残し,福島県双葉郡広野町の本件現場に単身赴任した。

3 本件現場における職務分担等

本件現場では,三菱重工から,3号ボイラー建設工事のうち保温工事と塗装工事の技術指導と施工管理を請け負った株式会社サーマルエンジニアリング(以下「サーマル」という)が本件作業の施工管理を行い,東邦塗装は,その指示の下,孫請けである又吉組らを監督して,本件作業を遂行する立場にあった。サーマルの責任者は同社取締役の青野重徳で,同社の社員2名とともに業者に対する技術指導や工事の監督の任に当たっていた。又吉組では,職人をまとめて仕事のさい配をする棒心と呼ばれる立場に又吉康裕(なお,同人が棒心となったのは3月21日からである)が就き,同人が太郎の指示のもとに職人を統括して塗装工事に当たっていた。

東邦塗装と又吉組との間の孫請け契約については,塗料,工具類,足場材,安全ベルト,ヘルメット等は東邦塗装が支給し,はけその他の消耗品,交通費,宿泊費等は又吉組の負担とすることなどが合意された。また,東邦塗装では,人手が足りなかったため,作業現場で職人らの安全管理を担当する安全管理者を又吉組から出すよう要請し,当初は現地採用された者が安全管理者となったが,2,3日で辞めてしまったため,やむを得ず又吉組の職人であった大賀康功が安全管理者となった。しかし,大賀は昭和60年8月に又吉組に就職して初めて塗装工の仕事をするようになった経験未熟な職人であり,安全管理の仕事の経験もなかったが,又吉組では又吉功をはじめとして職人が沖縄出身者ばかりであったため,元請会社等の社員と標準語で会話のできる内地出身の大賀が安全管理者に指名された。そのため,大賀は実際には本件現場で塗装の仕事をしながら,太郎の指導を受けて安全管理の仕事の手伝いをするという状態でしかなかった。

4 本件ボイラー建設工事の概要と太郎の職務内容等

(一) ボイラー施設は,発電を起こす動力機械とこれを覆う建造物を併せた火力発電施設全体であり,その建設工事は,鉄骨を組立て,ボイラー本体パネル,配管,ダクト,機器その他の部材をつり上げて,これらを組み合わせ,溶接工が電気溶接するなどして順次組立てていき,取付工事が完了すると,塗装,保温工事に着手するという手順で工事が進捗する。したがって,塗装工事はボイラー建設工事の各現場の最終の工程となり,それに先行する工程が遅れれば,それに伴って塗装工事も遅れていくことになる。そして,塗装工は鳶工と共に高所での作業が多いため,他の職種に比べて墜落事故が多く,危険性の高い職種とされているところ,本件ボイラー施設は高さ約100メートル,縦,横約50メートル四方の12階建ての巨大な鉄骨建造物であり,風の影響も受ける高所での塗装工事は危険性が高く,安全ベルトの装着が不可欠であった。

また,塗装工事は,他の業種(配管工や鍛治屋等)の架設した足場を利用することによって,安全かつ効率的に作業を行うことができるので,塗装工事の現場監督としては,常に工事の進捗状況を把握し,他の職種との連繋を密にして,足場の解体される時期がいつか,どの場所の作業を先にすべきか等について気配りをして,効率的で安全な作業が行われるように的確な指示を与えることが求められている。また,もともと自由気ままに行動する傾向のある職人たちに,効率的に仕事をしてもらい,仲間同士,または近隣住民とのトラブルを起こすことのないように,上手に使いこなしていくことも現場監督の手腕だとされており,そのためには,職人と気心を通わせるなどして,職人に気持ちよく働いてもらうことが必要となる。

さらに,現場監督は,定められた工期までに仕事を完成させることに全責任を負うものであるが,本件建設工事の完成までには,水圧検査,消防検査,火入れ式(燃料に点火して,蒸気を作り,タービンを回転させて発電するというセレモニーであり,元請会社をはじめ関係各社の役員や地元の政治家,名士等が招待されて参列することになっている)等節目の行事が控えており,それぞれその予定日までに定められた工程を終了させておく必要があった。

(二) 太郎は,現場監督として,右のとおり定められた工期までに適正に塗装工事を完成させることについて全責任を負っており,現場での具体的職務としては,元請会社との折衝,工程会議(1日1回,元請会社が各現場責任者を集めて翌日の作業工程を決める会議)への出席,現場パトロール,又吉組棒心への作業の指示,作業の段取りの設定,塗装材料等の手配,昼食及び残業時の食事の手配,塗装工事日報(甲27の1ないし226)の作成,作業実績・予定表(甲28の1ないし217)の作成,出勤簿の作成等の仕事をしていた。現場パトロールとは,職人が安全に作業をしているか確認するとともに,打ち合わせどおりの作業をしているかを確認し,必要な注意指導をするとともに,作業の進捗状況等を把握する業務であり,太郎は,エレベーターで最上階まで上がり,そこから階段を下りながら作業が進行している箇所を重点的に,1回につき1時間ないし2時間程度かけて,少なくとも午前と午後に各1回ずつと,残業時の計3回行っていた。また,現場パトロール以外の業務は現場事務所で行っていた。

太郎は,現場監督として,常に作業終了時まで現場事務所又は作業現場にいて,作業終了時にサーマルの青野に報告してから作業現場を退出していた。現場監督である太郎がいないと安全管理ができないため,又吉組の者だけで塗装工事を行うことは許されておらず,常に作業現場に拘束されているという状況が長期にわたって継続していた。

(三) 太郎の1日の通常の業務内容は,概略次のようなものであった。

午前7時10分ころ 出勤。以後,その日の作業の打ち合わせやラジオ体操,朝礼等

午前8時ころ 作業開始。以後,現場パトロールや現場事務所における書類の作成事務,昼食の手配等。なお,午前10時から10時20分までは所定の休憩時間

午後0時ころ 昼休み

午後1時 作業開始。現場パトロールや現場事務所における書類作成事務等。なお,午後3時から3時20分は所定の休憩時間。

午後3時20分ころ 元請会社の担当者らとの翌日の作業の打ち合わせ等

午後4時ころ 現場パトロールや現場事務所における書類作成事務等。また,この時間帯に残業を予定している職人の残業食の購入に出かける。

午後6時ころ 職人らとともに現場事務所に引き上(ママ)げる。残業を行う場合は,この後食事をして,午後7時ころから残業を開始する。

ただし,太郎は,休憩時間や昼食時間については仕事の都合で短縮することも少なくなく,予定通りにきちんと取っていたわけではないし,また,現場パトロールの他にも,日程が詰まっているときなどには作業現場に出て,自ら塗装作業を手伝うこともあった(この点は,青野重徳の原審証言(1478丁)によっても裏付けられている)。

(四) 太郎は,本件現場に赴任した当初は,青野らサーマルの社員が宿泊していた建設現場近くの旅館に宿泊していたが,4月以降は,又吉組が宿舎として利用していた建設現場から車で20分位の場所に位置する一戸建て住宅に移り,同建物の6畳間に大賀及び職人1人と起居を共にしていた。

太郎は,午前6時ころ起床して朝食を済ませた後,毎朝午前6時50分ころ自分の車に大賀及び職人2名を同乗させて通勤していた。また,太郎は,残業のないときは,宿舎に帰ってから夕食を取っていたが,残業のあるときは風呂に入って寝るだけの生活であった。

なお,太郎は,宿舎においても,職人らの指導をしたり,相談に乗ることがあったが,これが常態化して大きな負担となっていたとする証拠はない。したがって,太郎が実質的に24時間勤務を義務づけられていたとする控訴人の主張は採用できない。

5 工事の進捗状態と太郎の就労状況

(一) 本件作業は,太郎らが赴任した2月から3月中旬ころまでは,職人の数も十数名が働く程度で,それほど忙しくなかったが,同月下旬ころからは,職人の数が25名から30名程度に増加し,残業も日常化して次第に忙しくなっていった。また,作業の進捗状況も順調に推移していった。しかし,本件現場を含む広野町付近では,7月から9月にかけて,平年比2倍を大きく上回る降雨があり,屋外での塗装作業が大きく制約された結果,工程は予定より大幅に遅れはじめ,9月ころには予定より約1か月遅れとなっていた。そして,10月13日及び14日には消防検査が,11月16日には火入れ式が予定されていたため,それまでに完成しなければならない塗装工事の完了が危ぶまれる事態となっていた。にもかかわらず,8月下旬ころからは,当時のバブル経済期の人手不足の影響もあり,職人の確保が難しくなり,太郎が9月になって東邦塗装本社に職人の増員を再三要請したにもかかわらず,20名以上の職人の確保が困難な状態が続いていた。

そのため,太郎らは,作業の遅れを取り戻すために,休日出勤や残業でこれを補うこととし,8月17日以降は,同月21日,9月4日,9月18日を除いて,10月13日の消防検査の日まで連日出勤し,また,残業も9月末ころから次第に増加し,特に10月3日から12日にかけては,10月6日を除き連日少なくとも5時間(後記のとおり午後7時以降の分)以上の残業を行い,帰宅時間が深夜1時近くとなっていた。

消防検査後の10月15日以降も,職人の増員は思うようにいかず,20名を確保することができなかった。その間,太郎は,職人の増員に奔走し,10月21日には東邦塗装本社に車で出向き直接職人の増員要請をするということもあった。しかし,職人の数は,11月1日及び2日になっても19名程度しか確保できず,同月3日になってようやく25名程度に増員され,その後11月16日の火入れ式までの間30名前後の職人をどうにか確保することができた。その結果,太郎らは10月15日から11月13日までの間も10月21日(ただし,この日は,前記のとおり,増員要請のため,東邦塗装の本社に車で日帰りしており,職務を遂行していたとみるべきであるから,結局,太郎は9月19日から10月29日まで連続41日間勤務したことになる)と10月30日を除いて連日出勤し,また,連日,少なくとも3時間(後記のとおり午後7時以降の分)程度の残業を続け,帰宅時間は午後11時近くとなっていた。

(二) ところで,控訴人は,太郎が,9月下旬から11月13日までの間,連日5時間から7時間以上の残業をしており,宿舎への帰宅時間は午前0時から1時であった旨主張し,一部これに副う又吉功,又吉康裕及び大賀康功の陳述書の記載部分(甲45,49,50),並びに原審における証人又吉康裕の証言が存する。しかしながら,右のような事実を認めるに足りる客観的証拠はなく,控訴人の主張はたやすく採用できない。

なお,太郎の残業時間に関する証拠としては,甲第27号各証(東邦塗装が元請会社に提出する塗装工事日報)及びこれを引き写した乙第4号証(東邦塗装作成の太郎の出勤簿)が存在するところ,右各証拠に記載された残業時間数の起算時刻については,これを午後5時とする被控訴人の主張と,午後7時とする控訴人の主張が対立している。しかしながら,残業時間を5時間とした場合,午後5時を起算時刻とすると,又吉組の職人らは午後10時以降(10月12日は残業時間が6時間であるので午後11時以降)残業をしていないことになるはずであるが,これは「又吉組の職人がピーク時には深夜まで勤務していた」「夜12時くらいまで仕事をしていたことがある」とする原審証人青野重徳(サーマルの現場責任者)の証言とも明らかに齟齬しており採用できず,右残業時間の記載は午後7時を起算時刻とするものと解せざるをえない。さらに,前記甲第27号各証の残業時間の記載がすべて信用しうるかについても,それが甲第28号各証に記載されている残業予定時間の記載と一致していないこと,甲第46及び第47号各証によれば,残業食購入の領収書と解されるものがあるのにその日にちの残業時間の記載がないものがあることからすると,そのすべてが正確に記載されているとはいえず,特に太郎の残業時間の記載については,同人が残業手当の支給されない管理職であるから自身の残業時間を正確に記載する必要性に乏しく,一般的にいっても管理職が残業時間を正確に記録化することが少ないことや甲第27号各証の太郎の残業時間は11月11日分を除いてすべて又吉組の職人の残業時間と完全に一致していること等に照らせば,同号各証の太郎の残業時間の記載は,職人のそれと機械的に合致させた記載をしていた可能性が高いと考えられる。したがって,右甲第27号各証記載の太郎の残業時間は,実際の残業時間を正確に反映しているものとは解し難く,太郎が少なくともこれだけは残業したという最少限度の残業時間を示す証拠としての意義しかないというべきである。そうすると,責任感の強い,太郎が工程に追われて,右記載以上に残業をしていた可能性が高いとみるのが相当である。

(三) いずれにしても,右によれば,太郎は,別紙「太郎の出勤簿」<26頁参照>記載のとおり,脳出血発症前の9月1日から発症当日まで3日間(10月21日は勤務日と見るべきことは前判示のとおりである)を除いて連続勤務をしており,また,10月1日から発症日前日までの残業時間は,少なくみても120時間に及んでおり,出勤日1日当たり約2時間51分である。そして,太郎は,10月,11月に休日勤務や残業が続き,疲労が蓄積していることを周囲に漏らすこともあったが,東邦塗装の現場監督は1人しかおらず,安全管理者である大賀康功が前記の認定のとおり名目的なものにすぎなかったこともあり,現場を他人に任せて早めに帰宅するというようなことはできなかった。この点は,太郎と現場事務所で机を並べて勤務していたサーマルの責任者青野重徳は補助者を2名同行していたので,疲労が溜まってどうしようもないときなどには,部下に現場を任せて早めに帰宅することも週に一度位はあったと述べていること(青野の原審証言)と比べ,太郎の業務内容が過重であったことを端的に示している。

6 太郎の脳出血の発症

11月14日,太郎は,午前5時30分ころ起床し,午前7時ころ本件現場に出勤して,通常どおり,当日の作業の打ち合わせやラジオ体操をした後,午前8時過ぎから作業を開始した。同日は,火入れ式を直前に控えた時期であり,補修塗装又は手直し塗装作業が行われ,太郎は,現場パトロールを行いながら,作業状況を監視したり,配管のどこに文字を書くかについて指導したりしながら,自らも塗装作業を行っていた。

太郎は,午後6時ころに当日予定されていた職人らと詰所で弁当を食べた後,作業を再開し,現場でしばらく作業の仕上がり具合の検査などしていた。しかし,午後7時40分ころ,1階のフロアで「ウオー」という叫び声が発せられ,これを聞いた又吉組の職人らが駆けつけたところ,右手にハケを持ち,左手にペンキを入れる道具を持ったままうつぶせに倒れている太郎が発見された。

太郎は,直ちに救急車でいわき市立総合磐城共立病院へ搬送された。同病院に午後8時43分到着した太郎は,相原医師による治療を受けていたが,容態が好転しないまま,翌11月15日午前8時に死亡した。

7 業務起因性についての判断

(一) 以上の事実を前提にして,太郎に発症した脳出血が,過重業務によって肉体的疲労や精神的ストレスが蓄積したことが原因であるとする控訴人の主張の当否について判断する。

前判示のとおり,太郎には,基礎疾患として高血圧症が認められ,高血圧症の者がこれを放置すれば脳動脈の脆弱化が進行して,脆弱化した血管壁が破裂するなどして自然発生的に脳出血が発症すると考えられている。一方,脳出血は,身体外部から頭部などに強い力が加わった場合や極度の驚愕,緊張,興奮等著しい精神的負荷が加わったり,仕事による精神的緊張やストレス,疲労の蓄積等による精神的・肉体的負荷が加わった場合にも脳出血等の脳血管疾患を引き起こす可能性があることが認められている。

ところで,太郎の発症した脳出血は,前記認定のとおり,その発症部位や強力な血圧降圧剤の使用にもかかわらず血圧が低下しなかったことなどから,相当高度の高血圧症に罹患していた可能性が高いことが認められるが,一方,脳出血発症前の太郎の血圧値は判明しておらず,太郎の右基礎疾患が脳出血発症当時その自然の経過によって,一過性の血圧上昇があれば直ちに脳出血を発症する程度にあったとまで認めることはできない。また,太郎の脳出血が外部からの衝撃により発症したものでないことは,前記認定のとおり太郎に外傷のないことから明らかであるし,太郎が,強度の肉体的,精神的負荷を受け,その結果,急激な血圧変動や血管収縮を引き起こして脳出血を発症したといえるような異常な出来事に遭遇した事実も認められない。

(二) そこで,太郎の本件現場における業務遂行が過重業務であり,それが太郎の基礎疾患である高血圧症を,自然経過を超えて著しく増悪させ,その結果脳出血が発症したと認めることができるかどうかについて検討する。

まず,太郎の業務内容について検討してみると,

(1) 太郎は,本件ボイラー建設工事の塗装工事を請負った東邦塗装の現場監督として,同社から塗装工事の孫請けをした又吉組及びその職人らを統括し,これに的確な指示をして,元請会社から指定された工期までに,塗装工事を適正に完成させるという,重い職責を負っていた。しかも,太郎にとっては,本件現場のような大規模な工事は初めての経験であるうえ,東邦塗装では,もともと複数の社員の派遣を予定していたところ,人手不足から太郎1人を現場に派遣することになったものであり,その業務内容が1人では過重であったと解されることに加え,職務に代替性がなく,常に現場において作業終了時まで勤務している必要があり,また,補助者がいないため,雑用(残業食の買い出し等)までが太郎1人に集中し,業務の拘束性の極めて高い職場環境にあった。そのため,太郎は,体が疲れているときにも,他人に任せて早めに宿舎に帰宅するなど,体調に合わせて職務内容を調整することが全くできない状況にあった。

(2) 太郎は,昭和63年2月26日に本件現場に単身赴任して以来,脳出血を発症した11月14日までの約8か月半の間,単身赴任生活を続け,しかもその大半を又吉組の借受けた一戸建て住宅で同組の職人と起居を共にしてプライバシーのない生活を送っており,生活環境も芳しくなかった(この点は太郎が自ら好んで選択したことであるが,職人と起居を共にする方が仕事がやりやすいとの職務上の判断に基づくものと理解でき,太郎に責められるべき点はない)。

(3) 塗装工事の進捗状況をみても,天候不順による工事の遅れや,職人不足による工事の遅れがあり,特に,消防検査や火入れ式等の節目の工程があり,その工期が迫る中で,職人の手配がスムーズにいかず,焦燥感を募らせるなど多大の精神的負担を伴う工事であった(太郎が精神的に圧迫されていたことは,自らもたびたび塗装作業を手伝い,脳出血で倒れた当時も,はけとペンキを持ったままであったことからも見て取れるところである)。

(4) 勤務時間についても,8月17日以降は休日勤務が増加し,11月13日までの89日の間のうち,休日が5日(うち1日は本社との交渉業務に費やされているので実質は4日)しかなく,9月末からは,消防検査や火入れ式等の節目の工程に追われて残業を余儀なくされ,残業時間が増加していき,特に10月4日から12日までの間は同月6日を除いて,1日当たりの残業時間が5時間(前記認定のとおり午後7時以降の時間)以上に及び,朝6時50分ころに宿舎を出て,深夜1時近くに宿舎に戻るという激務が続き,その後も,10月16日から11月12日までほぼ連日3時間(前同)程度の残業が続き,帰宅時間が午後11時近くになるという状態が続いていた。

(5) 具体的職務の内容も,危険性の高い,高所での勤務を伴うものであるうえ,多数の職人を取りまとめて予定どおりに仕事を進めなければならず,また,関係各社の担当者との折衝等気苦労の極めて多いものであった。

以上のような事情を認めることができ,これと前記認定の各事実を総合して判断すれば,太郎の本件現場における業務は,精神的ストレスや疲労,身体的疲労を極度に蓄積する業務であったというべきであり,右のような過重な業務の継続によって太郎には慢性の疲労や過度のストレスが蓄積され,そのような精神的,肉体的負荷が,相対的に有力な原因となり,これと太郎の基礎疾患である高血圧症が協働原因となって,脳出血を発症させたものと認めるのが相当であり,太郎の業務と太郎の発症した脳出血による死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

これに対して,原審証人大原宏夫及び同星野俊1の証言,同人らの陳述書及び意見書(乙3,16,19,20)には,太郎の業務は過重なものとはいえず,太郎の業務遂行による負荷が脳出血発症の協働原因となっているとは認められないとする見解が示されているが,右見解は,その各証言内容を検討すると,いずれも太郎の業務内容について十分な資料も提出されず,正確な認識を欠いたまま表明されたものといわざるを得ず,たやすく採用することができない。

なお,甲第53号証によれば,本件処分に対して審査請求を受けた福島労働者災害補償保険審査官が参与会を開催して福島労働者災害補償保険参与の意見を微(ママ)したところ,労働者側参与は2名とも救済の意見であり,使用者側参与も1名は救済,残り1名が棄却の意見であったことが認められる。

8 以上検討したところによると,太郎の脳出血については,業務起因性が認められるところ,これと異なる見解に立って被控訴人がした本件処分は違法であるから,これを取り消すべきである。」

二  そうすると,控訴人の本訴請求を棄却した原判決は不当であるから,これを取り消し,控訴人の右請求を認容することとする。

よって,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法67条2項,61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 喜多村治雄 裁判官 小林崇 裁判官 片瀬敏寿)

別紙 S.63年2~11月分(自 月 日 至 月 日) 出勤薄

東京電力(株)広野火力3B 甲野太郎

<省略>

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